ホーム > 討議テーマ > 1997年レポート

1997年レポート

第58回 「働くとは」

開催日時
平成9年12月5日(金) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、土岐川、吉田、村上、佐々木、内田、下山、佐藤、望月

議事内容

今回は働くということをテーマに議論した。働くという言葉は、通常は、お金を得るために何かをするという労働の意味相が強い。英語には、workと1abourという言葉があって、前者は仕事をするという意味であり、後者は賃金を得る為に働くという意味で、賃金を得るために体を動かすことと、何かのために体を動かすこととを区別しているようだ。多分、この両者をはっきり区別している西欧は、元々契約的な社会が根底にあり、労働を提供することに対して報酬が与えられるということをはっきりと表現しているのであろう。これに対して、日本人の場合には、農耕民族の持つ社会的な特徴がその根底にあるのであろうか、労働と賃金ということが曖昧にされた表現になっているものと考えられる。畑を耕し、食物を得るという営みは、元々は、誰の命令によるものでもなく、自分達の生活を維持するための自主的な営みである。お金という契約的なものと働くということを直接結び付けるのではなく、生さていくための糧を得ることに対して働くという言葉を用いてきたのではないだろうか。

つづきを読む

第57回 「芸術」

開催日時
平成9年12月5日(金) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、土岐川、吉田、村上、佐々木、内田、下山、佐藤、望月

議事内容

今回は働くということをテーマに議論した。働くという言葉は、通常は、お金を得るために何かをするという労働の意味相が強い。英語には、workと1abourという言葉があって、前者は仕事をするという意味であり、後者は賃金を得る為に働くという意味で、賃金を得るために体を動かすことと、何かのために体を動かすこととを区別しているようだ。多分、この両者をはっきり区別している西欧は、元々契約的な社会が根底にあり、労働を提供することに対して報酬が与えられるということをはっきりと表現しているのであろう。これに対して、日本人の場合には、農耕民族の持つ社会的な特徴がその根底にあるのであろうか、労働と賃金ということが曖昧にされた表現になっているものと考えられる。畑を耕し、食物を得るという営みは、元々は、誰の命令によるものでもなく、自分達の生活を維持するための自主的な営みである。お金という契約的なものと働くということを直接結び付けるのではなく、生さていくための糧を得ることに対して働くという言葉を用いてきたのではないだろうか。

つづきを読む

開催日時
平成9年10月29日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、鈴木(智)、土岐川、山崎、桐、水野、吉田、ラジカル鈴木、佐々木、内田、下山、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、下山さんと内田さんが参加してくれました。下山さんは、グラフィックデザインを仕事にしており、趣味は映画観賞、文化人類学的なことに興味を持っているとのことです。内田さんは、慶応大学環境情報学部4年生のお嬢さんで、将来は、臨床心理学の分野で仕事をしたいとのことです。二人の新鮮な意見が、新しい風をもたらしてくれるものと期待しています。

今回は、前回に引続き芸術について議論した。絵画芸術の道を四十年近く一筋に生きられている桐さんから、芸術とは技であり、その源には、宇苗生命と係わる心が秘められているという実感の込められた意見があった。そして、技を議論することよりも、なぜ人間は心の世界を外の世界に表現しようとする衝動にかられるかの方に関心があるとの意見も併せて述べられた。なぜ、人間は心の世界を表現したいという衝動にかられるのかという議論は、奥が深く、これだけでも相当の議論が生まれてこよう。そこで、今回は、この議題にはあまり深く触れず、芸術に関してさらに議論を重ねた。

つづきを読む

第56回 「芸術」

開催日時
平成9年12月5日(金) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、土岐川、吉田、村上、佐々木、内田、下山、佐藤、望月

議事内容

今回は働くということをテーマに議論した。働くという言葉は、通常は、お金を得るために何かをするという労働の意味相が強い。英語には、workと1abourという言葉があって、前者は仕事をするという意味であり、後者は賃金を得る為に働くという意味で、賃金を得るために体を動かすことと、何かのために体を動かすこととを区別しているようだ。多分、この両者をはっきり区別している西欧は、元々契約的な社会が根底にあり、労働を提供することに対して報酬が与えられるということをはっきりと表現しているのであろう。これに対して、日本人の場合には、農耕民族の持つ社会的な特徴がその根底にあるのであろうか、労働と賃金ということが曖昧にされた表現になっているものと考えられる。畑を耕し、食物を得るという営みは、元々は、誰の命令によるものでもなく、自分達の生活を維持するための自主的な営みである。お金という契約的なものと働くということを直接結び付けるのではなく、生さていくための糧を得ることに対して働くという言葉を用いてきたのではないだろうか。

つづきを読む

開催日時
平成9年10月29日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、鈴木(智)、土岐川、山崎、桐、水野、吉田、ラジカル鈴木、佐々木、内田、下山、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、下山さんと内田さんが参加してくれました。下山さんは、グラフィックデザインを仕事にしており、趣味は映画観賞、文化人類学的なことに興味を持っているとのことです。内田さんは、慶応大学環境情報学部4年生のお嬢さんで、将来は、臨床心理学の分野で仕事をしたいとのことです。二人の新鮮な意見が、新しい風をもたらしてくれるものと期待しています。

今回は、前回に引続き芸術について議論した。絵画芸術の道を四十年近く一筋に生きられている桐さんから、芸術とは技であり、その源には、宇苗生命と係わる心が秘められているという実感の込められた意見があった。そして、技を議論することよりも、なぜ人間は心の世界を外の世界に表現しようとする衝動にかられるかの方に関心があるとの意見も併せて述べられた。なぜ、人間は心の世界を表現したいという衝動にかられるのかという議論は、奥が深く、これだけでも相当の議論が生まれてこよう。そこで、今回は、この議題にはあまり深く触れず、芸術に関してさらに議論を重ねた。

つづきを読む

開催日時
平成9年9月17日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、塚田、土岐川、中瀬、水野、吉田、佐々木、佐藤、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、慶応大学の佐々木君が参加してくれました。佐々木君は、総合政策学部の学生で、現在四年生です。将来やってみたい職業として、弁理士を目標としているそうです。若さあふれる考え方で、この会に新たな活気を吹き込んでくれることを期待しています。

今回は「芸術」について議論した。芸術という言葉で、始めに連想するのは、絵画であろう。もちろん音楽や詩なども芸術と深く係わってはいるけれども、芸術と絵画との結び付きは強そうだ。学校の教育にしても、美術の授業では、そこで扱われるものの多くが絵画との係わりである。そして、美術の言葉が示すように、芸術と美とは深い結び付きがありそうだ。

つづきを読む

第55回 「善と悪」

開催日時
平成9年12月5日(金) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、土岐川、吉田、村上、佐々木、内田、下山、佐藤、望月

議事内容

今回は働くということをテーマに議論した。働くという言葉は、通常は、お金を得るために何かをするという労働の意味相が強い。英語には、workと1abourという言葉があって、前者は仕事をするという意味であり、後者は賃金を得る為に働くという意味で、賃金を得るために体を動かすことと、何かのために体を動かすこととを区別しているようだ。多分、この両者をはっきり区別している西欧は、元々契約的な社会が根底にあり、労働を提供することに対して報酬が与えられるということをはっきりと表現しているのであろう。これに対して、日本人の場合には、農耕民族の持つ社会的な特徴がその根底にあるのであろうか、労働と賃金ということが曖昧にされた表現になっているものと考えられる。畑を耕し、食物を得るという営みは、元々は、誰の命令によるものでもなく、自分達の生活を維持するための自主的な営みである。お金という契約的なものと働くということを直接結び付けるのではなく、生さていくための糧を得ることに対して働くという言葉を用いてきたのではないだろうか。

つづきを読む

開催日時
平成9年10月29日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、鈴木(智)、土岐川、山崎、桐、水野、吉田、ラジカル鈴木、佐々木、内田、下山、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、下山さんと内田さんが参加してくれました。下山さんは、グラフィックデザインを仕事にしており、趣味は映画観賞、文化人類学的なことに興味を持っているとのことです。内田さんは、慶応大学環境情報学部4年生のお嬢さんで、将来は、臨床心理学の分野で仕事をしたいとのことです。二人の新鮮な意見が、新しい風をもたらしてくれるものと期待しています。

今回は、前回に引続き芸術について議論した。絵画芸術の道を四十年近く一筋に生きられている桐さんから、芸術とは技であり、その源には、宇苗生命と係わる心が秘められているという実感の込められた意見があった。そして、技を議論することよりも、なぜ人間は心の世界を外の世界に表現しようとする衝動にかられるかの方に関心があるとの意見も併せて述べられた。なぜ、人間は心の世界を表現したいという衝動にかられるのかという議論は、奥が深く、これだけでも相当の議論が生まれてこよう。そこで、今回は、この議題にはあまり深く触れず、芸術に関してさらに議論を重ねた。

つづきを読む

開催日時
平成9年9月17日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、塚田、土岐川、中瀬、水野、吉田、佐々木、佐藤、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、慶応大学の佐々木君が参加してくれました。佐々木君は、総合政策学部の学生で、現在四年生です。将来やってみたい職業として、弁理士を目標としているそうです。若さあふれる考え方で、この会に新たな活気を吹き込んでくれることを期待しています。

今回は「芸術」について議論した。芸術という言葉で、始めに連想するのは、絵画であろう。もちろん音楽や詩なども芸術と深く係わってはいるけれども、芸術と絵画との結び付きは強そうだ。学校の教育にしても、美術の授業では、そこで扱われるものの多くが絵画との係わりである。そして、美術の言葉が示すように、芸術と美とは深い結び付きがありそうだ。

つづきを読む

開催日時
平成9年7月16日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、中瀬、山崎、村土、望月

議事内容

今回は「善と悪」について議論した。私達は、日常様々な事件や由来事に接する中で、ある面無意識的に、その事毎に善と悪という判断を下している。例えば、野村証券や第一勧業銀行の問題に関しても、事実が表面にでない状況の中では、野村証券や第一勧業銀行各社内においては、あるべきものとして、悪とは判断されることが少なかったであろう。しかし、それらの事柄が表面化し、社会的な問題になると、関係者の多くは、悪者としての烙印を押されることになる。一般生活の中で、それが常識化していると、それは善とは言えないまでも、悪とは判断されない状況が生まれてくる。そして、このような常識紛いの事が、組織の中に蔓延していることは日常茶飯事である。

つづきを読む

第54回 「愛」

開催日時
平成9年12月5日(金) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、土岐川、吉田、村上、佐々木、内田、下山、佐藤、望月

議事内容

今回は働くということをテーマに議論した。働くという言葉は、通常は、お金を得るために何かをするという労働の意味相が強い。英語には、workと1abourという言葉があって、前者は仕事をするという意味であり、後者は賃金を得る為に働くという意味で、賃金を得るために体を動かすことと、何かのために体を動かすこととを区別しているようだ。多分、この両者をはっきり区別している西欧は、元々契約的な社会が根底にあり、労働を提供することに対して報酬が与えられるということをはっきりと表現しているのであろう。これに対して、日本人の場合には、農耕民族の持つ社会的な特徴がその根底にあるのであろうか、労働と賃金ということが曖昧にされた表現になっているものと考えられる。畑を耕し、食物を得るという営みは、元々は、誰の命令によるものでもなく、自分達の生活を維持するための自主的な営みである。お金という契約的なものと働くということを直接結び付けるのではなく、生さていくための糧を得ることに対して働くという言葉を用いてきたのではないだろうか。

つづきを読む

開催日時
平成9年10月29日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、鈴木(智)、土岐川、山崎、桐、水野、吉田、ラジカル鈴木、佐々木、内田、下山、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、下山さんと内田さんが参加してくれました。下山さんは、グラフィックデザインを仕事にしており、趣味は映画観賞、文化人類学的なことに興味を持っているとのことです。内田さんは、慶応大学環境情報学部4年生のお嬢さんで、将来は、臨床心理学の分野で仕事をしたいとのことです。二人の新鮮な意見が、新しい風をもたらしてくれるものと期待しています。

今回は、前回に引続き芸術について議論した。絵画芸術の道を四十年近く一筋に生きられている桐さんから、芸術とは技であり、その源には、宇苗生命と係わる心が秘められているという実感の込められた意見があった。そして、技を議論することよりも、なぜ人間は心の世界を外の世界に表現しようとする衝動にかられるかの方に関心があるとの意見も併せて述べられた。なぜ、人間は心の世界を表現したいという衝動にかられるのかという議論は、奥が深く、これだけでも相当の議論が生まれてこよう。そこで、今回は、この議題にはあまり深く触れず、芸術に関してさらに議論を重ねた。

つづきを読む

開催日時
平成9年9月17日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、塚田、土岐川、中瀬、水野、吉田、佐々木、佐藤、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、慶応大学の佐々木君が参加してくれました。佐々木君は、総合政策学部の学生で、現在四年生です。将来やってみたい職業として、弁理士を目標としているそうです。若さあふれる考え方で、この会に新たな活気を吹き込んでくれることを期待しています。

今回は「芸術」について議論した。芸術という言葉で、始めに連想するのは、絵画であろう。もちろん音楽や詩なども芸術と深く係わってはいるけれども、芸術と絵画との結び付きは強そうだ。学校の教育にしても、美術の授業では、そこで扱われるものの多くが絵画との係わりである。そして、美術の言葉が示すように、芸術と美とは深い結び付きがありそうだ。

つづきを読む

開催日時
平成9年7月16日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、中瀬、山崎、村土、望月

議事内容

今回は「善と悪」について議論した。私達は、日常様々な事件や由来事に接する中で、ある面無意識的に、その事毎に善と悪という判断を下している。例えば、野村証券や第一勧業銀行の問題に関しても、事実が表面にでない状況の中では、野村証券や第一勧業銀行各社内においては、あるべきものとして、悪とは判断されることが少なかったであろう。しかし、それらの事柄が表面化し、社会的な問題になると、関係者の多くは、悪者としての烙印を押されることになる。一般生活の中で、それが常識化していると、それは善とは言えないまでも、悪とは判断されない状況が生まれてくる。そして、このような常識紛いの事が、組織の中に蔓延していることは日常茶飯事である。

つづきを読む

開催日時
平成9年6月4日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、塚田、中瀬、山崎、小田島、ラジカル鈴木、浦山、三好、宮本、佐藤、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、50回記念大会に次いで2回目の参加である小田島さんを含む4人の方が参加してくれました。小田島さんは、現在、山形県生涯学習人材育成機構に勤務されています。生まれは、岩手県で、幼少の頃、宮沢賢治の実の母から、賢治の作った童話を聞かせてもらった経験があるそうです。浦山さんは、小田島さんと同じ職場に勤務していて、山歩きが好きであるとのこと。山形県を出て働きたいと思っていたのですが、今はふるさとの山形県にどっぷりと浸ってしまっているそうです。三好さんは、札幌出身のフリーのシナリオライターです。これまで、秘書、リクルート、縮集プロダクション等の仕事を点々とこなし、現在に至っているとのこと。宮本さんは、大阪出身で、建築家を目指していましたが、その夢を断念し、現在は、フリーの写真芸術家として活躍しています。様々な分野で活躍されている新たなメンバーを加え、この研究会が、益々活発に進められることを願っています。

今回は「愛」について議論した。愛という言葉から先ず始めに連想されるのが、恋愛である。人を好きになり、その人と一緒に生活していくカップルには、大きく分けて二つのタイプがありそうだ。一つは、互いの存在が、それぞれに生きる力を与えてくれて、ずっと一緒に居れるタイプと、もう一つは、生活しているうちに、それぞれの好みや考え方が大きく異なっていることが分かり、分かれてしまうタイプである。前者は、二人で一つといった状態を生み出していて、一人では発揮できない新たな力を生み出す可能性を秘めている。これに対して、後者は、互いに妥協していかなければ一緒に生活することが出来ず、一人一人の持つ力を奪ってしまう可能性がある。

つづきを読む

第53回 「生命」

開催日時
平成9年12月5日(金) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、土岐川、吉田、村上、佐々木、内田、下山、佐藤、望月

議事内容

今回は働くということをテーマに議論した。働くという言葉は、通常は、お金を得るために何かをするという労働の意味相が強い。英語には、workと1abourという言葉があって、前者は仕事をするという意味であり、後者は賃金を得る為に働くという意味で、賃金を得るために体を動かすことと、何かのために体を動かすこととを区別しているようだ。多分、この両者をはっきり区別している西欧は、元々契約的な社会が根底にあり、労働を提供することに対して報酬が与えられるということをはっきりと表現しているのであろう。これに対して、日本人の場合には、農耕民族の持つ社会的な特徴がその根底にあるのであろうか、労働と賃金ということが曖昧にされた表現になっているものと考えられる。畑を耕し、食物を得るという営みは、元々は、誰の命令によるものでもなく、自分達の生活を維持するための自主的な営みである。お金という契約的なものと働くということを直接結び付けるのではなく、生さていくための糧を得ることに対して働くという言葉を用いてきたのではないだろうか。

つづきを読む

開催日時
平成9年10月29日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、鈴木(智)、土岐川、山崎、桐、水野、吉田、ラジカル鈴木、佐々木、内田、下山、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、下山さんと内田さんが参加してくれました。下山さんは、グラフィックデザインを仕事にしており、趣味は映画観賞、文化人類学的なことに興味を持っているとのことです。内田さんは、慶応大学環境情報学部4年生のお嬢さんで、将来は、臨床心理学の分野で仕事をしたいとのことです。二人の新鮮な意見が、新しい風をもたらしてくれるものと期待しています。

今回は、前回に引続き芸術について議論した。絵画芸術の道を四十年近く一筋に生きられている桐さんから、芸術とは技であり、その源には、宇苗生命と係わる心が秘められているという実感の込められた意見があった。そして、技を議論することよりも、なぜ人間は心の世界を外の世界に表現しようとする衝動にかられるかの方に関心があるとの意見も併せて述べられた。なぜ、人間は心の世界を表現したいという衝動にかられるのかという議論は、奥が深く、これだけでも相当の議論が生まれてこよう。そこで、今回は、この議題にはあまり深く触れず、芸術に関してさらに議論を重ねた。

つづきを読む

開催日時
平成9年9月17日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、塚田、土岐川、中瀬、水野、吉田、佐々木、佐藤、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、慶応大学の佐々木君が参加してくれました。佐々木君は、総合政策学部の学生で、現在四年生です。将来やってみたい職業として、弁理士を目標としているそうです。若さあふれる考え方で、この会に新たな活気を吹き込んでくれることを期待しています。

今回は「芸術」について議論した。芸術という言葉で、始めに連想するのは、絵画であろう。もちろん音楽や詩なども芸術と深く係わってはいるけれども、芸術と絵画との結び付きは強そうだ。学校の教育にしても、美術の授業では、そこで扱われるものの多くが絵画との係わりである。そして、美術の言葉が示すように、芸術と美とは深い結び付きがありそうだ。

つづきを読む

開催日時
平成9年7月16日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、中瀬、山崎、村土、望月

議事内容

今回は「善と悪」について議論した。私達は、日常様々な事件や由来事に接する中で、ある面無意識的に、その事毎に善と悪という判断を下している。例えば、野村証券や第一勧業銀行の問題に関しても、事実が表面にでない状況の中では、野村証券や第一勧業銀行各社内においては、あるべきものとして、悪とは判断されることが少なかったであろう。しかし、それらの事柄が表面化し、社会的な問題になると、関係者の多くは、悪者としての烙印を押されることになる。一般生活の中で、それが常識化していると、それは善とは言えないまでも、悪とは判断されない状況が生まれてくる。そして、このような常識紛いの事が、組織の中に蔓延していることは日常茶飯事である。

つづきを読む

開催日時
平成9年6月4日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、塚田、中瀬、山崎、小田島、ラジカル鈴木、浦山、三好、宮本、佐藤、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、50回記念大会に次いで2回目の参加である小田島さんを含む4人の方が参加してくれました。小田島さんは、現在、山形県生涯学習人材育成機構に勤務されています。生まれは、岩手県で、幼少の頃、宮沢賢治の実の母から、賢治の作った童話を聞かせてもらった経験があるそうです。浦山さんは、小田島さんと同じ職場に勤務していて、山歩きが好きであるとのこと。山形県を出て働きたいと思っていたのですが、今はふるさとの山形県にどっぷりと浸ってしまっているそうです。三好さんは、札幌出身のフリーのシナリオライターです。これまで、秘書、リクルート、縮集プロダクション等の仕事を点々とこなし、現在に至っているとのこと。宮本さんは、大阪出身で、建築家を目指していましたが、その夢を断念し、現在は、フリーの写真芸術家として活躍しています。様々な分野で活躍されている新たなメンバーを加え、この研究会が、益々活発に進められることを願っています。

今回は「愛」について議論した。愛という言葉から先ず始めに連想されるのが、恋愛である。人を好きになり、その人と一緒に生活していくカップルには、大きく分けて二つのタイプがありそうだ。一つは、互いの存在が、それぞれに生きる力を与えてくれて、ずっと一緒に居れるタイプと、もう一つは、生活しているうちに、それぞれの好みや考え方が大きく異なっていることが分かり、分かれてしまうタイプである。前者は、二人で一つといった状態を生み出していて、一人では発揮できない新たな力を生み出す可能性を秘めている。これに対して、後者は、互いに妥協していかなければ一緒に生活することが出来ず、一人一人の持つ力を奪ってしまう可能性がある。

つづきを読む

開催日時
平成9年4月23日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
霧島、広野、土岐川、鈴木(智)、西浜、山崎、水野、城芽、吉田、村上、ラジカル鈴木、佐藤、望月

討議内容

今回は、城芽さんが50回大会に引続き参加され、また新たに、ラジカル鈴木さんが参加されました。城芽さんは、イラストレータとして活躍されています。毎年8月、平和への願いを込めたポストカードを制作し、友人や周りの人達に送るというピースカード実行委員でもあります。様々な人達から送られてきたピースカードの展示会もいくつかの美術館で計画されているとのことです。ラジカル鈴木さんもイラストレータで、特にパソコンを使ったイラストを手掛けており、御自身の名刺はユニークなイラストが描かれた可愛らしいものです。物事にアクティブに取り組むと言う意味でラジカルという名前をつけたのだそうです。右脳を活性化されているお二人の参加によって、この会が益々左右バランスのとれた研究会になることを期待しています。

今回は、前回に引続き生命について議論した。前回議論したように、生命には、科学的立場からみる命と、悠久なる宇宙と一体化した分解不可能な命とがあり、この二つの感覚が私達の生命観の根底にあるように考えられる。そのことと深く係わっているのが、臓器移植や脳死の問題であろう。臓器移植を是とする考えには、臓器障害で生死の境にいる人達を救うことへの思いやりが主となっているのに対して、臓器移植を非とする考えには、臓器は部品として単属に生命活動をしているのではなく、人間の生命を構成する一要素として、全体と切り離すことの出来ないものであると言う考えであろう。前者は、思いやりという切札を根底として、生命を分解可能なものであるとしているのに対して、後者は、自然、それを神と表現してもよいのだが、その自然が、自然の摂理に則って形作ってきたものに、人間の浅はかな知識や技術が関与して行くことへの抵抗であろう。

つづきを読む

第52回 「生命」

開催日時
平成9年12月5日(金) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、土岐川、吉田、村上、佐々木、内田、下山、佐藤、望月

議事内容

今回は働くということをテーマに議論した。働くという言葉は、通常は、お金を得るために何かをするという労働の意味相が強い。英語には、workと1abourという言葉があって、前者は仕事をするという意味であり、後者は賃金を得る為に働くという意味で、賃金を得るために体を動かすことと、何かのために体を動かすこととを区別しているようだ。多分、この両者をはっきり区別している西欧は、元々契約的な社会が根底にあり、労働を提供することに対して報酬が与えられるということをはっきりと表現しているのであろう。これに対して、日本人の場合には、農耕民族の持つ社会的な特徴がその根底にあるのであろうか、労働と賃金ということが曖昧にされた表現になっているものと考えられる。畑を耕し、食物を得るという営みは、元々は、誰の命令によるものでもなく、自分達の生活を維持するための自主的な営みである。お金という契約的なものと働くということを直接結び付けるのではなく、生さていくための糧を得ることに対して働くという言葉を用いてきたのではないだろうか。

つづきを読む

開催日時
平成9年10月29日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、鈴木(智)、土岐川、山崎、桐、水野、吉田、ラジカル鈴木、佐々木、内田、下山、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、下山さんと内田さんが参加してくれました。下山さんは、グラフィックデザインを仕事にしており、趣味は映画観賞、文化人類学的なことに興味を持っているとのことです。内田さんは、慶応大学環境情報学部4年生のお嬢さんで、将来は、臨床心理学の分野で仕事をしたいとのことです。二人の新鮮な意見が、新しい風をもたらしてくれるものと期待しています。

今回は、前回に引続き芸術について議論した。絵画芸術の道を四十年近く一筋に生きられている桐さんから、芸術とは技であり、その源には、宇苗生命と係わる心が秘められているという実感の込められた意見があった。そして、技を議論することよりも、なぜ人間は心の世界を外の世界に表現しようとする衝動にかられるかの方に関心があるとの意見も併せて述べられた。なぜ、人間は心の世界を表現したいという衝動にかられるのかという議論は、奥が深く、これだけでも相当の議論が生まれてこよう。そこで、今回は、この議題にはあまり深く触れず、芸術に関してさらに議論を重ねた。

つづきを読む

開催日時
平成9年9月17日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、塚田、土岐川、中瀬、水野、吉田、佐々木、佐藤、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、慶応大学の佐々木君が参加してくれました。佐々木君は、総合政策学部の学生で、現在四年生です。将来やってみたい職業として、弁理士を目標としているそうです。若さあふれる考え方で、この会に新たな活気を吹き込んでくれることを期待しています。

今回は「芸術」について議論した。芸術という言葉で、始めに連想するのは、絵画であろう。もちろん音楽や詩なども芸術と深く係わってはいるけれども、芸術と絵画との結び付きは強そうだ。学校の教育にしても、美術の授業では、そこで扱われるものの多くが絵画との係わりである。そして、美術の言葉が示すように、芸術と美とは深い結び付きがありそうだ。

つづきを読む

開催日時
平成9年7月16日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、中瀬、山崎、村土、望月

議事内容

今回は「善と悪」について議論した。私達は、日常様々な事件や由来事に接する中で、ある面無意識的に、その事毎に善と悪という判断を下している。例えば、野村証券や第一勧業銀行の問題に関しても、事実が表面にでない状況の中では、野村証券や第一勧業銀行各社内においては、あるべきものとして、悪とは判断されることが少なかったであろう。しかし、それらの事柄が表面化し、社会的な問題になると、関係者の多くは、悪者としての烙印を押されることになる。一般生活の中で、それが常識化していると、それは善とは言えないまでも、悪とは判断されない状況が生まれてくる。そして、このような常識紛いの事が、組織の中に蔓延していることは日常茶飯事である。

つづきを読む

開催日時
平成9年6月4日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、塚田、中瀬、山崎、小田島、ラジカル鈴木、浦山、三好、宮本、佐藤、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、50回記念大会に次いで2回目の参加である小田島さんを含む4人の方が参加してくれました。小田島さんは、現在、山形県生涯学習人材育成機構に勤務されています。生まれは、岩手県で、幼少の頃、宮沢賢治の実の母から、賢治の作った童話を聞かせてもらった経験があるそうです。浦山さんは、小田島さんと同じ職場に勤務していて、山歩きが好きであるとのこと。山形県を出て働きたいと思っていたのですが、今はふるさとの山形県にどっぷりと浸ってしまっているそうです。三好さんは、札幌出身のフリーのシナリオライターです。これまで、秘書、リクルート、縮集プロダクション等の仕事を点々とこなし、現在に至っているとのこと。宮本さんは、大阪出身で、建築家を目指していましたが、その夢を断念し、現在は、フリーの写真芸術家として活躍しています。様々な分野で活躍されている新たなメンバーを加え、この研究会が、益々活発に進められることを願っています。

今回は「愛」について議論した。愛という言葉から先ず始めに連想されるのが、恋愛である。人を好きになり、その人と一緒に生活していくカップルには、大きく分けて二つのタイプがありそうだ。一つは、互いの存在が、それぞれに生きる力を与えてくれて、ずっと一緒に居れるタイプと、もう一つは、生活しているうちに、それぞれの好みや考え方が大きく異なっていることが分かり、分かれてしまうタイプである。前者は、二人で一つといった状態を生み出していて、一人では発揮できない新たな力を生み出す可能性を秘めている。これに対して、後者は、互いに妥協していかなければ一緒に生活することが出来ず、一人一人の持つ力を奪ってしまう可能性がある。

つづきを読む

開催日時
平成9年4月23日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
霧島、広野、土岐川、鈴木(智)、西浜、山崎、水野、城芽、吉田、村上、ラジカル鈴木、佐藤、望月

討議内容

今回は、城芽さんが50回大会に引続き参加され、また新たに、ラジカル鈴木さんが参加されました。城芽さんは、イラストレータとして活躍されています。毎年8月、平和への願いを込めたポストカードを制作し、友人や周りの人達に送るというピースカード実行委員でもあります。様々な人達から送られてきたピースカードの展示会もいくつかの美術館で計画されているとのことです。ラジカル鈴木さんもイラストレータで、特にパソコンを使ったイラストを手掛けており、御自身の名刺はユニークなイラストが描かれた可愛らしいものです。物事にアクティブに取り組むと言う意味でラジカルという名前をつけたのだそうです。右脳を活性化されているお二人の参加によって、この会が益々左右バランスのとれた研究会になることを期待しています。

今回は、前回に引続き生命について議論した。前回議論したように、生命には、科学的立場からみる命と、悠久なる宇宙と一体化した分解不可能な命とがあり、この二つの感覚が私達の生命観の根底にあるように考えられる。そのことと深く係わっているのが、臓器移植や脳死の問題であろう。臓器移植を是とする考えには、臓器障害で生死の境にいる人達を救うことへの思いやりが主となっているのに対して、臓器移植を非とする考えには、臓器は部品として単属に生命活動をしているのではなく、人間の生命を構成する一要素として、全体と切り離すことの出来ないものであると言う考えであろう。前者は、思いやりという切札を根底として、生命を分解可能なものであるとしているのに対して、後者は、自然、それを神と表現してもよいのだが、その自然が、自然の摂理に則って形作ってきたものに、人間の浅はかな知識や技術が関与して行くことへの抵抗であろう。

つづきを読む

開催日時
平成9年3月6日(木) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
高岡、広野、土岐川、奥田、山崎、水野、桐、吉田、村上、佐藤、望月

討議内容

今回は、桐さん、水野さんが50回大会に引続き参加され、新たに、村上さんが参加されました。桐さんは、学生時代から40年余り絵を描いている方です。生きることの確固とした実感を求めつつ絵を措き続けているとのことです。芸術家の視点からみた意見が聞けるものと期待しています。水野さんは、ダイヤルサービスに勤務されていましたが、現在はフリーの編集家として活曜されています。50代になり、20年以上の残りの人生を、楽しく生きるための手段を今捜し求めているとのことです。村上さんは、お寺の住職さんです。学生時代は、陸上選手として活躍、特に幅跳びでは、7メートル16という記録を持ち、高校時代、県チャンピョンになったことがあるとのことです。30代までは、教員をしていたのですが、ある心境の変化から、寺の住職となり、現在に至っているとのことです。様々な経験をお持ちな新たな三名の方々が、今までにない切口で、人間文化研究会の議論を盛り上げてくれることを期待しています。

今回は、生命と言うことで議論した。生命と言うのは、「せいめい」とも読めるし「いのち」とも読める。しかし、その二つの問には、異なった意味合いがある。「せいめい」というのは、自然科学的な意味合いが強く、無機的で西洋的な響きがある。これに対して「いのち」は、社会科学的、哲学的な意味合いがあり、有機的で東洋的な響きがある。

つづきを読む

第51回 「夢」

開催日時
平成9年12月5日(金) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、土岐川、吉田、村上、佐々木、内田、下山、佐藤、望月

議事内容

今回は働くということをテーマに議論した。働くという言葉は、通常は、お金を得るために何かをするという労働の意味相が強い。英語には、workと1abourという言葉があって、前者は仕事をするという意味であり、後者は賃金を得る為に働くという意味で、賃金を得るために体を動かすことと、何かのために体を動かすこととを区別しているようだ。多分、この両者をはっきり区別している西欧は、元々契約的な社会が根底にあり、労働を提供することに対して報酬が与えられるということをはっきりと表現しているのであろう。これに対して、日本人の場合には、農耕民族の持つ社会的な特徴がその根底にあるのであろうか、労働と賃金ということが曖昧にされた表現になっているものと考えられる。畑を耕し、食物を得るという営みは、元々は、誰の命令によるものでもなく、自分達の生活を維持するための自主的な営みである。お金という契約的なものと働くということを直接結び付けるのではなく、生さていくための糧を得ることに対して働くという言葉を用いてきたのではないだろうか。

つづきを読む

開催日時
平成9年10月29日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、鈴木(智)、土岐川、山崎、桐、水野、吉田、ラジカル鈴木、佐々木、内田、下山、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、下山さんと内田さんが参加してくれました。下山さんは、グラフィックデザインを仕事にしており、趣味は映画観賞、文化人類学的なことに興味を持っているとのことです。内田さんは、慶応大学環境情報学部4年生のお嬢さんで、将来は、臨床心理学の分野で仕事をしたいとのことです。二人の新鮮な意見が、新しい風をもたらしてくれるものと期待しています。

今回は、前回に引続き芸術について議論した。絵画芸術の道を四十年近く一筋に生きられている桐さんから、芸術とは技であり、その源には、宇苗生命と係わる心が秘められているという実感の込められた意見があった。そして、技を議論することよりも、なぜ人間は心の世界を外の世界に表現しようとする衝動にかられるかの方に関心があるとの意見も併せて述べられた。なぜ、人間は心の世界を表現したいという衝動にかられるのかという議論は、奥が深く、これだけでも相当の議論が生まれてこよう。そこで、今回は、この議題にはあまり深く触れず、芸術に関してさらに議論を重ねた。

つづきを読む

開催日時
平成9年9月17日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、塚田、土岐川、中瀬、水野、吉田、佐々木、佐藤、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、慶応大学の佐々木君が参加してくれました。佐々木君は、総合政策学部の学生で、現在四年生です。将来やってみたい職業として、弁理士を目標としているそうです。若さあふれる考え方で、この会に新たな活気を吹き込んでくれることを期待しています。

今回は「芸術」について議論した。芸術という言葉で、始めに連想するのは、絵画であろう。もちろん音楽や詩なども芸術と深く係わってはいるけれども、芸術と絵画との結び付きは強そうだ。学校の教育にしても、美術の授業では、そこで扱われるものの多くが絵画との係わりである。そして、美術の言葉が示すように、芸術と美とは深い結び付きがありそうだ。

つづきを読む

開催日時
平成9年7月16日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、中瀬、山崎、村土、望月

議事内容

今回は「善と悪」について議論した。私達は、日常様々な事件や由来事に接する中で、ある面無意識的に、その事毎に善と悪という判断を下している。例えば、野村証券や第一勧業銀行の問題に関しても、事実が表面にでない状況の中では、野村証券や第一勧業銀行各社内においては、あるべきものとして、悪とは判断されることが少なかったであろう。しかし、それらの事柄が表面化し、社会的な問題になると、関係者の多くは、悪者としての烙印を押されることになる。一般生活の中で、それが常識化していると、それは善とは言えないまでも、悪とは判断されない状況が生まれてくる。そして、このような常識紛いの事が、組織の中に蔓延していることは日常茶飯事である。

つづきを読む

開催日時
平成9年6月4日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、塚田、中瀬、山崎、小田島、ラジカル鈴木、浦山、三好、宮本、佐藤、望月

議事内容

今回から新たなメンバーとして、50回記念大会に次いで2回目の参加である小田島さんを含む4人の方が参加してくれました。小田島さんは、現在、山形県生涯学習人材育成機構に勤務されています。生まれは、岩手県で、幼少の頃、宮沢賢治の実の母から、賢治の作った童話を聞かせてもらった経験があるそうです。浦山さんは、小田島さんと同じ職場に勤務していて、山歩きが好きであるとのこと。山形県を出て働きたいと思っていたのですが、今はふるさとの山形県にどっぷりと浸ってしまっているそうです。三好さんは、札幌出身のフリーのシナリオライターです。これまで、秘書、リクルート、縮集プロダクション等の仕事を点々とこなし、現在に至っているとのこと。宮本さんは、大阪出身で、建築家を目指していましたが、その夢を断念し、現在は、フリーの写真芸術家として活躍しています。様々な分野で活躍されている新たなメンバーを加え、この研究会が、益々活発に進められることを願っています。

今回は「愛」について議論した。愛という言葉から先ず始めに連想されるのが、恋愛である。人を好きになり、その人と一緒に生活していくカップルには、大きく分けて二つのタイプがありそうだ。一つは、互いの存在が、それぞれに生きる力を与えてくれて、ずっと一緒に居れるタイプと、もう一つは、生活しているうちに、それぞれの好みや考え方が大きく異なっていることが分かり、分かれてしまうタイプである。前者は、二人で一つといった状態を生み出していて、一人では発揮できない新たな力を生み出す可能性を秘めている。これに対して、後者は、互いに妥協していかなければ一緒に生活することが出来ず、一人一人の持つ力を奪ってしまう可能性がある。

つづきを読む

開催日時
平成9年4月23日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
霧島、広野、土岐川、鈴木(智)、西浜、山崎、水野、城芽、吉田、村上、ラジカル鈴木、佐藤、望月

討議内容

今回は、城芽さんが50回大会に引続き参加され、また新たに、ラジカル鈴木さんが参加されました。城芽さんは、イラストレータとして活躍されています。毎年8月、平和への願いを込めたポストカードを制作し、友人や周りの人達に送るというピースカード実行委員でもあります。様々な人達から送られてきたピースカードの展示会もいくつかの美術館で計画されているとのことです。ラジカル鈴木さんもイラストレータで、特にパソコンを使ったイラストを手掛けており、御自身の名刺はユニークなイラストが描かれた可愛らしいものです。物事にアクティブに取り組むと言う意味でラジカルという名前をつけたのだそうです。右脳を活性化されているお二人の参加によって、この会が益々左右バランスのとれた研究会になることを期待しています。

今回は、前回に引続き生命について議論した。前回議論したように、生命には、科学的立場からみる命と、悠久なる宇宙と一体化した分解不可能な命とがあり、この二つの感覚が私達の生命観の根底にあるように考えられる。そのことと深く係わっているのが、臓器移植や脳死の問題であろう。臓器移植を是とする考えには、臓器障害で生死の境にいる人達を救うことへの思いやりが主となっているのに対して、臓器移植を非とする考えには、臓器は部品として単属に生命活動をしているのではなく、人間の生命を構成する一要素として、全体と切り離すことの出来ないものであると言う考えであろう。前者は、思いやりという切札を根底として、生命を分解可能なものであるとしているのに対して、後者は、自然、それを神と表現してもよいのだが、その自然が、自然の摂理に則って形作ってきたものに、人間の浅はかな知識や技術が関与して行くことへの抵抗であろう。

つづきを読む

開催日時
平成9年3月6日(木) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
高岡、広野、土岐川、奥田、山崎、水野、桐、吉田、村上、佐藤、望月

討議内容

今回は、桐さん、水野さんが50回大会に引続き参加され、新たに、村上さんが参加されました。桐さんは、学生時代から40年余り絵を描いている方です。生きることの確固とした実感を求めつつ絵を措き続けているとのことです。芸術家の視点からみた意見が聞けるものと期待しています。水野さんは、ダイヤルサービスに勤務されていましたが、現在はフリーの編集家として活曜されています。50代になり、20年以上の残りの人生を、楽しく生きるための手段を今捜し求めているとのことです。村上さんは、お寺の住職さんです。学生時代は、陸上選手として活躍、特に幅跳びでは、7メートル16という記録を持ち、高校時代、県チャンピョンになったことがあるとのことです。30代までは、教員をしていたのですが、ある心境の変化から、寺の住職となり、現在に至っているとのことです。様々な経験をお持ちな新たな三名の方々が、今までにない切口で、人間文化研究会の議論を盛り上げてくれることを期待しています。

今回は、生命と言うことで議論した。生命と言うのは、「せいめい」とも読めるし「いのち」とも読める。しかし、その二つの問には、異なった意味合いがある。「せいめい」というのは、自然科学的な意味合いが強く、無機的で西洋的な響きがある。これに対して「いのち」は、社会科学的、哲学的な意味合いがあり、有機的で東洋的な響きがある。

つづきを読む

開催日時
平成9年1月23日 (木) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
古館、広野、土岐川、西浜、山崎、三嶋、吉田、望月

討議内容

今回は、三嶋さん、山崎さんが前回に引続き参加され、新たに、吉田さんが参加されました。三嶋さんは、東京都出身で、IBM関連会社に勤務されています。これと言った趣味はないそうですが、皆と楽しく過ごすのが好きだとのことです。また、山崎さんは、ジュジュ化粧品会社に勤務されていまして、商品開発を主に担当されています。密教に興味を持っており、その実践と俳句に打ち込んでいるとのこと。今回新たに参加された吉田さんは、NTTの研究所に勤務されています。身の回りの人達が、パソコンに向かいながら黙々と仕事をしている姿を見ていると、通信の発達の陰で、一人一人が直接面と向かって語り合う機会が益々少なくなってきていることを実感しているとのこと。今は朗読の会に参加したり、ウォーキングをしたりするのが趣味とのこと。人生経験豊かな新しい参加者が、新しい切口で、この会を盛り上げてくれることを期待しています。

今回は、「夢」をテーマに議論した。夢という言葉で、我々が思い起こすのは、眠っていてみる夢と、希望としての夢がある。始めに希望としての夢に関して議論を進めた。希望としての夢は、例えば、いずれはベンツに乗ってみたいとかいったような物との係わりで生まれてくるものや、野茂投手のように世界の舞台で活躍できる選手になりたいといったような状況に係わるものなど形は様々であるが、今現実には自分の手には入っていないことで、将来手に入れたいと言うものである。これらの夢は、可能性との係わりで生まれてくるものであるから、年齢との係わりが大きい。若いときには、様々な可能性があるため、夢は大きく膨らむであろう。しかし、年を取るに連れて、可能性の対象が次第に少なくなり、対象となるものも変化してこよう。現実の社会を見つめてみるならば、企業の中にどっぷりと浸かってしまっている中年と呼ばれる年齢層が、夢を持つことが一番少ない世代のように思われる。

つづきを読む

Home > 1997年レポート

このサイトについて
月別アーカイブ
最近の投稿記事
最近のコメント

Page Top