ホーム > 討議テーマ > 1999年レポート

1999年レポート

第70回 「人類の目指すもの」

開催日時
平成11年11月18日(木) 14:00〜17:00
開催場所
新宿住友ビル・住友スカイルーム
参加者
広野、塚田、土岐川、水野、山崎、桐、内田、徳留、市川、宮澤、前田(園)、松本、大原、高須、矢田堀、泉谷、久保、高橋、安立、藤島、佐藤、望月

討議内容

人間文化研究会がスタートして丸9年、今回は、70回記念大会ということで、多数の皆様にお集まり頂き、活発に討議することができました。

今回は「人類の目指すもの」と題して、様々な角度から議論を行った。表題を人間としなくて人類としたのは、目指すものが、今を生きる一人ひとりの中にある個々人の欲望や夢といったものではなく、生命進化の営みの中で、今を生きる一人ひとりに共通していて、それが人類の向かう核となる方向性を持ったようなものがあるのかどうかということに関して議論する意味からである。

つづきを読む

第69回 「私」

開催日時
平成11年11月18日(木) 14:00〜17:00
開催場所
新宿住友ビル・住友スカイルーム
参加者
広野、塚田、土岐川、水野、山崎、桐、内田、徳留、市川、宮澤、前田(園)、松本、大原、高須、矢田堀、泉谷、久保、高橋、安立、藤島、佐藤、望月

討議内容

人間文化研究会がスタートして丸9年、今回は、70回記念大会ということで、多数の皆様にお集まり頂き、活発に討議することができました。

今回は「人類の目指すもの」と題して、様々な角度から議論を行った。表題を人間としなくて人類としたのは、目指すものが、今を生きる一人ひとりの中にある個々人の欲望や夢といったものではなく、生命進化の営みの中で、今を生きる一人ひとりに共通していて、それが人類の向かう核となる方向性を持ったようなものがあるのかどうかということに関して議論する意味からである。

つづきを読む

開催日時
平成11年9月8日(水) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、土岐川、水野、市川、前田(園)、橋本、秦、高須、佐藤、望月

討議内容

今回新たに、二人の若者が参加してくれました。高須君は、早稲田大学理工学部を卒業した後、フリーターとして生活しています。生きることの意味を考えたり、本当の自分を見つけたりするために、本を読んだり、考えたりしているとのことです。秦君は、この9月に慶應大学環境情報学部を卒業し、現在は、医学の道を志し、大学院を目指して勉学に励んでいるとのことです。新たな道を求めて動き出した若者が、新鮮な空気をもたらしてくれることを期待しています。

今回は、私ということをテーマに議論した。土岐川さんは、胃カメラを飲み、自分の胃の中を画像で見ながら、感じる痛みが画像と連動していることに何とも妙な体験をされたそうである。その体験を通して、この痛みを本当の痛みとして感じているのは、私であり、画像を見る先生にしても、私のこの痛みは分からないということを実感を持って感じたそうである。そして、そのことから、私というのは、それぞれ一人一人の中にあって、誰もその私を交換することはできないというのである。ただ、痛みといえども、視覚や聴覚を通して得られる様々な刺激と、刺激ということで見るならば、異なってはいない。土岐川さんが感じた痛みと私は、見る物や聞く音と私ということと全く同じ係わりであり、そういう意味からすると、すべての刺激を感じ取る私は、決して誰とも同じ私ではないといえる。

つづきを読む

第68回 「恋」

開催日時
平成11年11月18日(木) 14:00〜17:00
開催場所
新宿住友ビル・住友スカイルーム
参加者
広野、塚田、土岐川、水野、山崎、桐、内田、徳留、市川、宮澤、前田(園)、松本、大原、高須、矢田堀、泉谷、久保、高橋、安立、藤島、佐藤、望月

討議内容

人間文化研究会がスタートして丸9年、今回は、70回記念大会ということで、多数の皆様にお集まり頂き、活発に討議することができました。

今回は「人類の目指すもの」と題して、様々な角度から議論を行った。表題を人間としなくて人類としたのは、目指すものが、今を生きる一人ひとりの中にある個々人の欲望や夢といったものではなく、生命進化の営みの中で、今を生きる一人ひとりに共通していて、それが人類の向かう核となる方向性を持ったようなものがあるのかどうかということに関して議論する意味からである。

つづきを読む

開催日時
平成11年9月8日(水) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、土岐川、水野、市川、前田(園)、橋本、秦、高須、佐藤、望月

討議内容

今回新たに、二人の若者が参加してくれました。高須君は、早稲田大学理工学部を卒業した後、フリーターとして生活しています。生きることの意味を考えたり、本当の自分を見つけたりするために、本を読んだり、考えたりしているとのことです。秦君は、この9月に慶應大学環境情報学部を卒業し、現在は、医学の道を志し、大学院を目指して勉学に励んでいるとのことです。新たな道を求めて動き出した若者が、新鮮な空気をもたらしてくれることを期待しています。

今回は、私ということをテーマに議論した。土岐川さんは、胃カメラを飲み、自分の胃の中を画像で見ながら、感じる痛みが画像と連動していることに何とも妙な体験をされたそうである。その体験を通して、この痛みを本当の痛みとして感じているのは、私であり、画像を見る先生にしても、私のこの痛みは分からないということを実感を持って感じたそうである。そして、そのことから、私というのは、それぞれ一人一人の中にあって、誰もその私を交換することはできないというのである。ただ、痛みといえども、視覚や聴覚を通して得られる様々な刺激と、刺激ということで見るならば、異なってはいない。土岐川さんが感じた痛みと私は、見る物や聞く音と私ということと全く同じ係わりであり、そういう意味からすると、すべての刺激を感じ取る私は、決して誰とも同じ私ではないといえる。

つづきを読む

開催日時
平成11年7月15日(木) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、西山、土岐川、塚田、水野、市川、前田(園)、前田(絵)、大原、松本、徳富、橋本、藤田、大林、望月

討議内容

今回から4名の若者が参加してくれました。徳富さんは、今年春に大学を卒業され、現在(株)ベルシステム24に勤務されています。卒業論文が、宝塚歌劇団に関するものであったそうで、宝塚の事ならなんでも知っているというお嬢様です。藤田さん、大林君、橋本君は、共に慶應大学の学生で、藤田さん、大林君は、四年生、橋本君は三年生です。若さに溢れる四名が、新鮮な風を吹き込んでくれることを期待しています。

今回は、恋について議論した。恋とは一体私達のどのような心の動きなのであろうか。恋する心は、生命維持のための生物的本能と関わり、異性を対象とした心のときめきだけなのだろうか。異性を対象とする心のときめきと同じような心のときめきを同性にも感じることがある。例えば、宝塚歌劇団の団員への女性達の憧れは、同性に対する恋心のように思える。また、女子校や男子校においては、同性同士が、恋心と同じような心を抱くことがあるという。これらのことを考えると、恋心が、必ずしも性的な欲求と関わり、異性への憧憬の念に根差しているとはいえない。

つづきを読む

第67回 「生きる意味」

開催日時
平成11年11月18日(木) 14:00〜17:00
開催場所
新宿住友ビル・住友スカイルーム
参加者
広野、塚田、土岐川、水野、山崎、桐、内田、徳留、市川、宮澤、前田(園)、松本、大原、高須、矢田堀、泉谷、久保、高橋、安立、藤島、佐藤、望月

討議内容

人間文化研究会がスタートして丸9年、今回は、70回記念大会ということで、多数の皆様にお集まり頂き、活発に討議することができました。

今回は「人類の目指すもの」と題して、様々な角度から議論を行った。表題を人間としなくて人類としたのは、目指すものが、今を生きる一人ひとりの中にある個々人の欲望や夢といったものではなく、生命進化の営みの中で、今を生きる一人ひとりに共通していて、それが人類の向かう核となる方向性を持ったようなものがあるのかどうかということに関して議論する意味からである。

つづきを読む

開催日時
平成11年9月8日(水) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、土岐川、水野、市川、前田(園)、橋本、秦、高須、佐藤、望月

討議内容

今回新たに、二人の若者が参加してくれました。高須君は、早稲田大学理工学部を卒業した後、フリーターとして生活しています。生きることの意味を考えたり、本当の自分を見つけたりするために、本を読んだり、考えたりしているとのことです。秦君は、この9月に慶應大学環境情報学部を卒業し、現在は、医学の道を志し、大学院を目指して勉学に励んでいるとのことです。新たな道を求めて動き出した若者が、新鮮な空気をもたらしてくれることを期待しています。

今回は、私ということをテーマに議論した。土岐川さんは、胃カメラを飲み、自分の胃の中を画像で見ながら、感じる痛みが画像と連動していることに何とも妙な体験をされたそうである。その体験を通して、この痛みを本当の痛みとして感じているのは、私であり、画像を見る先生にしても、私のこの痛みは分からないということを実感を持って感じたそうである。そして、そのことから、私というのは、それぞれ一人一人の中にあって、誰もその私を交換することはできないというのである。ただ、痛みといえども、視覚や聴覚を通して得られる様々な刺激と、刺激ということで見るならば、異なってはいない。土岐川さんが感じた痛みと私は、見る物や聞く音と私ということと全く同じ係わりであり、そういう意味からすると、すべての刺激を感じ取る私は、決して誰とも同じ私ではないといえる。

つづきを読む

開催日時
平成11年7月15日(木) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、西山、土岐川、塚田、水野、市川、前田(園)、前田(絵)、大原、松本、徳富、橋本、藤田、大林、望月

討議内容

今回から4名の若者が参加してくれました。徳富さんは、今年春に大学を卒業され、現在(株)ベルシステム24に勤務されています。卒業論文が、宝塚歌劇団に関するものであったそうで、宝塚の事ならなんでも知っているというお嬢様です。藤田さん、大林君、橋本君は、共に慶應大学の学生で、藤田さん、大林君は、四年生、橋本君は三年生です。若さに溢れる四名が、新鮮な風を吹き込んでくれることを期待しています。

今回は、恋について議論した。恋とは一体私達のどのような心の動きなのであろうか。恋する心は、生命維持のための生物的本能と関わり、異性を対象とした心のときめきだけなのだろうか。異性を対象とする心のときめきと同じような心のときめきを同性にも感じることがある。例えば、宝塚歌劇団の団員への女性達の憧れは、同性に対する恋心のように思える。また、女子校や男子校においては、同性同士が、恋心と同じような心を抱くことがあるという。これらのことを考えると、恋心が、必ずしも性的な欲求と関わり、異性への憧憬の念に根差しているとはいえない。

つづきを読む

開催日時
平成11年5月13日(木) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、土岐川、塚田、桐、水野、下山、高木、前田(園)、前田(絵)、中村、淺谷、松本、前原、望月

討議内容

今回は、新たに、三人の方が参加してくれました。淺谷さんは、工学院大学教授で、主に情報通信関係の研究をされています。三十数年の間空手をやってきており、現在全日本少林寺流空手道連盟関東連合会理事長をされています。松本さんは、土岐川さんと同じ(株)ランドに勤められています。趣味はジャズ音楽を聴いたりハイキングをしたりすることだそうです。前原さんは、高木さんと同じ日清製油(株)に勤められていて、転勤歴の多い経験を持ているとのこと、最近になって山登りを始めたとのことです。それぞれ個性豊かな三人の方が、この研究会に新たな風をもたらしてくれることを期待しています。

今回は生きる意味ということで議論した。生きること、生と死といったような事柄に関しては、すんなりと議論できるが、生きる意味という風に生きることに意味を問われると、なかなか議論できないというのが大方の意見であった。今生きていることが生きていることであり、生きていることは当たり前のことであり、そのことにこれまで意味付けなどしてきてはいないというのが実際のようだ。また、そんな意味付けなどしなくても、こうして日々生きているのであるから、それで良いのではないかといった意見もあった。そのため、今回の議論では、生きることの意味、そのものをはっきりとした言葉で表現できるところまでには至らなかった。しかし、核心にまでは至らなかったが、会の雰囲気に溢れていたものは、やはり生きることの意味を模索する無意識の営みであった。そこで、以下の内容は、この会の雰囲気の根底に流れていた言葉にならない議論を、言葉によって浮かび上がらせることで報告としたい。

つづきを読む

第66回 「美しさ」

開催日時
平成11年11月18日(木) 14:00〜17:00
開催場所
新宿住友ビル・住友スカイルーム
参加者
広野、塚田、土岐川、水野、山崎、桐、内田、徳留、市川、宮澤、前田(園)、松本、大原、高須、矢田堀、泉谷、久保、高橋、安立、藤島、佐藤、望月

討議内容

人間文化研究会がスタートして丸9年、今回は、70回記念大会ということで、多数の皆様にお集まり頂き、活発に討議することができました。

今回は「人類の目指すもの」と題して、様々な角度から議論を行った。表題を人間としなくて人類としたのは、目指すものが、今を生きる一人ひとりの中にある個々人の欲望や夢といったものではなく、生命進化の営みの中で、今を生きる一人ひとりに共通していて、それが人類の向かう核となる方向性を持ったようなものがあるのかどうかということに関して議論する意味からである。

つづきを読む

開催日時
平成11年9月8日(水) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、土岐川、水野、市川、前田(園)、橋本、秦、高須、佐藤、望月

討議内容

今回新たに、二人の若者が参加してくれました。高須君は、早稲田大学理工学部を卒業した後、フリーターとして生活しています。生きることの意味を考えたり、本当の自分を見つけたりするために、本を読んだり、考えたりしているとのことです。秦君は、この9月に慶應大学環境情報学部を卒業し、現在は、医学の道を志し、大学院を目指して勉学に励んでいるとのことです。新たな道を求めて動き出した若者が、新鮮な空気をもたらしてくれることを期待しています。

今回は、私ということをテーマに議論した。土岐川さんは、胃カメラを飲み、自分の胃の中を画像で見ながら、感じる痛みが画像と連動していることに何とも妙な体験をされたそうである。その体験を通して、この痛みを本当の痛みとして感じているのは、私であり、画像を見る先生にしても、私のこの痛みは分からないということを実感を持って感じたそうである。そして、そのことから、私というのは、それぞれ一人一人の中にあって、誰もその私を交換することはできないというのである。ただ、痛みといえども、視覚や聴覚を通して得られる様々な刺激と、刺激ということで見るならば、異なってはいない。土岐川さんが感じた痛みと私は、見る物や聞く音と私ということと全く同じ係わりであり、そういう意味からすると、すべての刺激を感じ取る私は、決して誰とも同じ私ではないといえる。

つづきを読む

開催日時
平成11年7月15日(木) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、西山、土岐川、塚田、水野、市川、前田(園)、前田(絵)、大原、松本、徳富、橋本、藤田、大林、望月

討議内容

今回から4名の若者が参加してくれました。徳富さんは、今年春に大学を卒業され、現在(株)ベルシステム24に勤務されています。卒業論文が、宝塚歌劇団に関するものであったそうで、宝塚の事ならなんでも知っているというお嬢様です。藤田さん、大林君、橋本君は、共に慶應大学の学生で、藤田さん、大林君は、四年生、橋本君は三年生です。若さに溢れる四名が、新鮮な風を吹き込んでくれることを期待しています。

今回は、恋について議論した。恋とは一体私達のどのような心の動きなのであろうか。恋する心は、生命維持のための生物的本能と関わり、異性を対象とした心のときめきだけなのだろうか。異性を対象とする心のときめきと同じような心のときめきを同性にも感じることがある。例えば、宝塚歌劇団の団員への女性達の憧れは、同性に対する恋心のように思える。また、女子校や男子校においては、同性同士が、恋心と同じような心を抱くことがあるという。これらのことを考えると、恋心が、必ずしも性的な欲求と関わり、異性への憧憬の念に根差しているとはいえない。

つづきを読む

開催日時
平成11年5月13日(木) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、土岐川、塚田、桐、水野、下山、高木、前田(園)、前田(絵)、中村、淺谷、松本、前原、望月

討議内容

今回は、新たに、三人の方が参加してくれました。淺谷さんは、工学院大学教授で、主に情報通信関係の研究をされています。三十数年の間空手をやってきており、現在全日本少林寺流空手道連盟関東連合会理事長をされています。松本さんは、土岐川さんと同じ(株)ランドに勤められています。趣味はジャズ音楽を聴いたりハイキングをしたりすることだそうです。前原さんは、高木さんと同じ日清製油(株)に勤められていて、転勤歴の多い経験を持ているとのこと、最近になって山登りを始めたとのことです。それぞれ個性豊かな三人の方が、この研究会に新たな風をもたらしてくれることを期待しています。

今回は生きる意味ということで議論した。生きること、生と死といったような事柄に関しては、すんなりと議論できるが、生きる意味という風に生きることに意味を問われると、なかなか議論できないというのが大方の意見であった。今生きていることが生きていることであり、生きていることは当たり前のことであり、そのことにこれまで意味付けなどしてきてはいないというのが実際のようだ。また、そんな意味付けなどしなくても、こうして日々生きているのであるから、それで良いのではないかといった意見もあった。そのため、今回の議論では、生きることの意味、そのものをはっきりとした言葉で表現できるところまでには至らなかった。しかし、核心にまでは至らなかったが、会の雰囲気に溢れていたものは、やはり生きることの意味を模索する無意識の営みであった。そこで、以下の内容は、この会の雰囲気の根底に流れていた言葉にならない議論を、言葉によって浮かび上がらせることで報告としたい。

つづきを読む

開催日時
平成11年3月25日(木) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、土岐川、桐、下山、前田(園)、前田(絵)、西村、岸、佐藤、望月

討議内容

今回は、新たに、岸さんが参加してくれました。岸さんは、ジェイアール東日本企画に勤められていて、広告企画等を担当されているとのこと。趣味は、スキー、クロスカントリーなどに今は夢中になっているとのことです。この研究会に新たな風をもたらしてくれるものと期待しています。

今回は、美しさとはということで議論した。私達が美しく感じるものとしては、空の青さや花の美しさといったように、自然のものに対して感じられる美しさと、人の表情、子供達の目といったように、人間のこころの世界と深く係わったものに対して感じられる美しさとがある。自然に対する美しさは、どちらかというと、理屈抜きで感じらられる美しさがそこにはあって、それは人類に共通したもののようにも思える。しかし、同じ花でも、ある民族にとっては美しく感じられ、ある民族にとっては、美しさよりもむしろ忌み嫌われたものとして捉えられることもある。花を美しいと感じるその美しさの根底には、人類に共通した美しさの原点のようなものが存在しているのであろうが、その原点が、具体的な美しさとして私達のこころを捉えるときには、長い民族の歴史、それは風土と深く係わってくるのであろうが、その歴史を無意識の世界の中に宿していて、その歴史との共鳴の中から美しさが生まれてくるのではないだろうか。

つづきを読む

第65回 「語る」

開催日時
平成11年11月18日(木) 14:00〜17:00
開催場所
新宿住友ビル・住友スカイルーム
参加者
広野、塚田、土岐川、水野、山崎、桐、内田、徳留、市川、宮澤、前田(園)、松本、大原、高須、矢田堀、泉谷、久保、高橋、安立、藤島、佐藤、望月

討議内容

人間文化研究会がスタートして丸9年、今回は、70回記念大会ということで、多数の皆様にお集まり頂き、活発に討議することができました。

今回は「人類の目指すもの」と題して、様々な角度から議論を行った。表題を人間としなくて人類としたのは、目指すものが、今を生きる一人ひとりの中にある個々人の欲望や夢といったものではなく、生命進化の営みの中で、今を生きる一人ひとりに共通していて、それが人類の向かう核となる方向性を持ったようなものがあるのかどうかということに関して議論する意味からである。

つづきを読む

開催日時
平成11年9月8日(水) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、土岐川、水野、市川、前田(園)、橋本、秦、高須、佐藤、望月

討議内容

今回新たに、二人の若者が参加してくれました。高須君は、早稲田大学理工学部を卒業した後、フリーターとして生活しています。生きることの意味を考えたり、本当の自分を見つけたりするために、本を読んだり、考えたりしているとのことです。秦君は、この9月に慶應大学環境情報学部を卒業し、現在は、医学の道を志し、大学院を目指して勉学に励んでいるとのことです。新たな道を求めて動き出した若者が、新鮮な空気をもたらしてくれることを期待しています。

今回は、私ということをテーマに議論した。土岐川さんは、胃カメラを飲み、自分の胃の中を画像で見ながら、感じる痛みが画像と連動していることに何とも妙な体験をされたそうである。その体験を通して、この痛みを本当の痛みとして感じているのは、私であり、画像を見る先生にしても、私のこの痛みは分からないということを実感を持って感じたそうである。そして、そのことから、私というのは、それぞれ一人一人の中にあって、誰もその私を交換することはできないというのである。ただ、痛みといえども、視覚や聴覚を通して得られる様々な刺激と、刺激ということで見るならば、異なってはいない。土岐川さんが感じた痛みと私は、見る物や聞く音と私ということと全く同じ係わりであり、そういう意味からすると、すべての刺激を感じ取る私は、決して誰とも同じ私ではないといえる。

つづきを読む

開催日時
平成11年7月15日(木) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、西山、土岐川、塚田、水野、市川、前田(園)、前田(絵)、大原、松本、徳富、橋本、藤田、大林、望月

討議内容

今回から4名の若者が参加してくれました。徳富さんは、今年春に大学を卒業され、現在(株)ベルシステム24に勤務されています。卒業論文が、宝塚歌劇団に関するものであったそうで、宝塚の事ならなんでも知っているというお嬢様です。藤田さん、大林君、橋本君は、共に慶應大学の学生で、藤田さん、大林君は、四年生、橋本君は三年生です。若さに溢れる四名が、新鮮な風を吹き込んでくれることを期待しています。

今回は、恋について議論した。恋とは一体私達のどのような心の動きなのであろうか。恋する心は、生命維持のための生物的本能と関わり、異性を対象とした心のときめきだけなのだろうか。異性を対象とする心のときめきと同じような心のときめきを同性にも感じることがある。例えば、宝塚歌劇団の団員への女性達の憧れは、同性に対する恋心のように思える。また、女子校や男子校においては、同性同士が、恋心と同じような心を抱くことがあるという。これらのことを考えると、恋心が、必ずしも性的な欲求と関わり、異性への憧憬の念に根差しているとはいえない。

つづきを読む

開催日時
平成11年5月13日(木) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、土岐川、塚田、桐、水野、下山、高木、前田(園)、前田(絵)、中村、淺谷、松本、前原、望月

討議内容

今回は、新たに、三人の方が参加してくれました。淺谷さんは、工学院大学教授で、主に情報通信関係の研究をされています。三十数年の間空手をやってきており、現在全日本少林寺流空手道連盟関東連合会理事長をされています。松本さんは、土岐川さんと同じ(株)ランドに勤められています。趣味はジャズ音楽を聴いたりハイキングをしたりすることだそうです。前原さんは、高木さんと同じ日清製油(株)に勤められていて、転勤歴の多い経験を持ているとのこと、最近になって山登りを始めたとのことです。それぞれ個性豊かな三人の方が、この研究会に新たな風をもたらしてくれることを期待しています。

今回は生きる意味ということで議論した。生きること、生と死といったような事柄に関しては、すんなりと議論できるが、生きる意味という風に生きることに意味を問われると、なかなか議論できないというのが大方の意見であった。今生きていることが生きていることであり、生きていることは当たり前のことであり、そのことにこれまで意味付けなどしてきてはいないというのが実際のようだ。また、そんな意味付けなどしなくても、こうして日々生きているのであるから、それで良いのではないかといった意見もあった。そのため、今回の議論では、生きることの意味、そのものをはっきりとした言葉で表現できるところまでには至らなかった。しかし、核心にまでは至らなかったが、会の雰囲気に溢れていたものは、やはり生きることの意味を模索する無意識の営みであった。そこで、以下の内容は、この会の雰囲気の根底に流れていた言葉にならない議論を、言葉によって浮かび上がらせることで報告としたい。

つづきを読む

開催日時
平成11年3月25日(木) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、土岐川、桐、下山、前田(園)、前田(絵)、西村、岸、佐藤、望月

討議内容

今回は、新たに、岸さんが参加してくれました。岸さんは、ジェイアール東日本企画に勤められていて、広告企画等を担当されているとのこと。趣味は、スキー、クロスカントリーなどに今は夢中になっているとのことです。この研究会に新たな風をもたらしてくれるものと期待しています。

今回は、美しさとはということで議論した。私達が美しく感じるものとしては、空の青さや花の美しさといったように、自然のものに対して感じられる美しさと、人の表情、子供達の目といったように、人間のこころの世界と深く係わったものに対して感じられる美しさとがある。自然に対する美しさは、どちらかというと、理屈抜きで感じらられる美しさがそこにはあって、それは人類に共通したもののようにも思える。しかし、同じ花でも、ある民族にとっては美しく感じられ、ある民族にとっては、美しさよりもむしろ忌み嫌われたものとして捉えられることもある。花を美しいと感じるその美しさの根底には、人類に共通した美しさの原点のようなものが存在しているのであろうが、その原点が、具体的な美しさとして私達のこころを捉えるときには、長い民族の歴史、それは風土と深く係わってくるのであろうが、その歴史を無意識の世界の中に宿していて、その歴史との共鳴の中から美しさが生まれてくるのではないだろうか。

つづきを読む

開催日時
平成11年1月28日(木) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、土岐川、中瀬、桐、水野、吉田、下山、前田(絵)、大原、西村、望月

討議内容

今回は、新たに、二人の女性の方が参加してくれました。西村さんは、マーケティングに関する業務を行うインプレスという会社を経営されています。オウムの飼育を15年ほどなさっているとのことです。大原さんは、ベルシステム24に勤めていて、現在コミュニケーションに関する調査研究をなさっているとのことです。お二人とも活気溢れる方で、この研究会に新たな風をもたらしてくれるものと期待しています。

今回は、語るということに関して議論した。語るという言葉の響きの中には、自分の考えを表現するという意味合いと、自分の思いを相手に伝えるという意味合いとがありそうだ。共に基本には、自分の考えを表現する営みがあるが、相手がいなくても自分を表現するのが前者の言う意味である。絵を描いたり、哲学したり、日記を書いたり、等々、相手がいなくても、何等かの手段によって、自分自身を表現していくこと、それも語ることの中にはある。

つづきを読む

Home > 1999年レポート

このサイトについて
月別アーカイブ
最近の投稿記事
最近のコメント

Page Top